Jimbo Gumbo

神保 彰(じんぼ あきら、1959年2月27日 - )は、日本のドラマー。慶應義塾大学卒業。東京都出身。血液型はA。

日本を代表するフュージョンバンド、カシオペアでデビューして活動していたが脱退。その後復帰し2006年の活動休止に至るまでサポート・メンバーとして常時参加していた。近年は熱帯JAZZ楽団のドラマーとしても活躍中。

来歴
癖の強いフュージョン系のドラマーとしては珍しくジャンルを問わずに演奏することができるドラマーであり、日本トップクラスのドラマーとして国内外から評価されている。
幼少の頃から様々な楽器に親しんでいたが、よく箸や茶碗などでドラムの真似をしていたという。それを見ていた父親は「叩く事に興味があるようだ」と思い、中学の入学祝いにドラムセットをプレゼント。しばらくの間は演奏していたがそのうち飽きてしまい、元々の趣味だったミリタリー系のプラモデル作りに再び熱中してしまった。ドラムを本格的に演奏し始めたのは17歳の頃スティーヴ・ガッドのプレイに出会い、そのプレイに刺激されたのがきっかけ。慶應義塾高等学校から慶應義塾大学進学後、同大学のジャズのビッグ・バンド、“ライト・ミュージック・ソサエティ”に所属しドラマーとして活動。在籍中時代の同バンドはスイスの「モントルー・ジャズ・フェスティバル」に出演したり、キングレコードから「パパイヤ・エクスプレス」というタイトルのアルバムを出すなどの活躍を見せる。
そんな中、渋谷109のオープニングイベントとして出演した際、都合で参加できないベーシストの代わりに同大学に在籍していたカシオペア櫻井哲夫が代役を務めた縁から、新ドラマーを募っていたカシオペアに参加を依頼されて加入。直後の1980年2月にライブレコーディングを行ったカシオペアの3枚目のアルバム『THUNDER LIVE』で同年4月にレコードデビューを果たした。この活動により知名度を世界規模へと広めた。詳細はカシオペアの欄を参照。
1989年に櫻井哲夫と共に結成したボーカルユニット・シャンバラの処遇をめぐり、カシオペアのリーダーであった野呂一生、並びにメンバーの向谷実と対立。結果、櫻井と共にこの年限りでカシオペアを脱退。翌1990年、2人はジンサクを結成。活動当初はラテン音楽をモチーフにフュージョン・シーンでの活動を行い、一定の人気を確立する。やがてフュージョンのジャンルを超えてベースとドラムによる多岐にわたった音楽性を提示しつつも1998年にユニットを解消。
ジンサク解消の前年1997年、カシオペアはドラマーが抜けて活動計画に窮しており、野呂が神保に参加を打診したところ、神保はこれを快諾(カシオペアとジンサク側とは早い段階で和解しており双方に遺恨はなかった)。2006年の活動休止に至るまでサポート・ドラマーとしてカシオペアの活動を支え続けていた。
チル・アウトDJ、ケイ・ナカヤマとコラボレイテッド・ユニットインテリジェントジャズを結成。2000年にファースト・アルバム「インテリジェント・ジャズ#1」をリリース。
ソロパフォーマンスが現在の彼の活動の中心。カシオペア在籍時代の80年代からヤマハのエレクトリック・ドラム・システムの開発を手助けし、90年代にはそのシステムで、生ドラムを演奏しながら和音、サンプリング音、シンセサイザーを同時にコントロールしていく奏法を独自に習得(後述)。これはワンマン・オーケストラと名付けられて、日本のみならず、海外でも注目を浴びている。さらに90年代からヤマハデモンストレーターとして、世界各国でセミナーやクリニックを行うようになり、1999年よりテクニカルマスターの称号を与えられてより一層それに従事している。
2004年には元T-SQUAREのドラムの則竹裕之とのツインドラムのユニット、Synchronized DNAを結成、2005年には、高校・大学時代の仲間であった鳥山雄司和泉宏隆とのバンド、PYRAMID(オーケーボーイズから改称)がアルバムを発売。
2007年10月10日発売ニューズウィーク日本版(10月17日号)において「世界で尊敬される日本人100人」に選出、掲載された。

[アーティスト名] 神保彰
[タイトル] Jimbo Gumbo
[CD番号] KICJ-573
[発売日] 2010-02-10
1 スパーク
2 ジンボガンボ
3 オオサカ・ストラット
4 オウェレオ
5 トウキョウ・レイン
6 ユー・アー・ザ・ヒーロー
7 ミストラル
8 ムーン・イン・ザ・ミラー
9 ガット・イット!
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